俺はどちらかというと叱るよりもまだまだ叱られる方なので、今現在何とも云えませんが、それでも昔からよく叱られてました。それでも、後々になって叱られて良かったなと思うことは多々あります。
それは、人間的な部分であったり仕事であったりと様々ですがやはり叱るという事には何かしらの愛情があるわけで。
そうでない叱りなんてものは、決して注意では無く単なる嫌がらせやいじめにすぎないと思います。
最近の子供の自殺問題でもよく取り上げられている教師も生徒と一緒になっていじめていたというケースにも強引ですが当てはまると思う。
その生徒の揚げ足を取るような発言をして、あくまでも自分は叱っただけだと正当性を保とうとするような発言をする先生とか。
まぁ、話しが全然ズレてしまいまして、申し訳ないです。
上記の記事では、学校ではなくあくまで一般社会での上司とその部下の関係。
彼女の記事にトラックバックをした人の記事についてもまた書いてあったりするのですが。
続・運動部に学ぶリーダーの責任
「叱る」かぁ、俺もいつかそういう立場に来るときがあるのかもしれないな。
そんなときに俺は誠意を持って叱る事が出来るかなぁ。
そもそも、この記事を取り上げようと思ったキッカケはこないだ火の玉ホールでのイベント「ムードブレイカ」でDJをしにいったときの事なんですが。
DJをしている先輩方二人がいまして。
1人は某レンタルショップの店長?副店長?そして、もう1人が某美容室の店長。
その二人が俺がDJをしている横で、最近の若者について熱く語ってのがかな~り頭に残ってて。
そしたら、こんな記事を発見したという訳なんですね。
その中で、別の視点からみた「
Kazu'Sの戯言Blog」さんの記事も興味深かったです。
組織的な仕組みの中で行動する中で求められる、部下を大切に思うリーダーシップを持った人がいいのか、それとも会社の規律の中でマニュアル化されたことを外れた場合にのみ叱ったり注意したりするのがいいのか俺にはドンドン分からなくなってきました。
だけども、奇麗事ばかりはいってられませんものね、ビジネスには。
それでも、やっぱり親身になって叱ってくれる人が周りにいるって事が、この記事を読んでて俺は幸せだなぁと感じました。
まぁ、なるべくなら叱られないような行動をとっているつもりですがDJだとかイベントやってるとまだまだ未熟な部分も多々ありますので。そのような時にはお叱りを受けます(笑)
でも、10代の頃だったら誰かに注意されたりしても突っぱねて、
「そんな事云われてもなぁ」なんて思ってたこともありましたが流石に今ではちゃんと聞いてますよ。
タイトルの記事を書いた彼女も云ってる様に一番辛い叱られ方が、
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殴らないかわりに、心をえぐるような言葉を何度も突きつけられました。
私のずるい部分とか怠慢を見逃してはもらえず、自分がいかに弱い人間かを痛感させるような、そういう叱り方をする人でした。
ここで私は、自分でも驚くことを思いました。
「こんなことなら殴ってくれればいいのに」と。
目を背けたくなるような自分の弱さをつきつけられて、それでもそれを乗り越えられない自分に直面するのは、つらいものです。
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俺もそんな経験が結構あったりします。
叱られた時に、自分自身と向き合わされて恥ずかしくて情けなくてとても辛い。
でも、その後ってのは本当に自分にとってとても深い思い出になります。
それは、叱られた事によって自分の弱さを知れたからこそなのか、叱ってくれた人に対する感謝と尊敬の気持ちの表れなのか。
俺もいつか、誰かを叱ったりする立場になった時にその答えが分かる気がします。
ちなみに今回紹介した記事を書いた方はなんと俺と同い年....
しっかりしてますね、本当。頭が上がりません。
俺もまだまだ頑張らねば。
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たくさん叱る派 VS 慎重に叱る派
続・運動部に学ぶリーダーの責任