14年を経て ~阪神淡路大震災~

ケンヤ マルセイユ

2009年01月17日 16:39



昨日の八重山日報の記事の中で、阪神淡路大震災で被害にあった家族についてのエピソードがあって、物凄く心を打たれる内容だったので、もっと沢山の人に知ってほしいので紹介します。

双子孤児が巣立ちへ

島離れ看護師、美容師に

阪神淡路大震災で母親と姉を亡くし、長崎県・五島列島の祖父母のもとで育った双子の兄弟が今春、高校を卒業し島を離れる。兄は「もうひとつの故郷を見てみたい」と兵庫県の看護学校入学を目指し、弟は福岡市の美容師専門学校に進む。震災から14年。当時4歳だった2人が巣立ちのときを迎える。

五島市の福江村で祖父母と暮らす高校3年生の兄、千代田健志さんと弟の千代田康志さん。震災で兵庫県宝塚市の自宅アパートが倒壊し、隣で寝ていた母親のさと子さんと姉の萌ちゃんが犠牲になった。

残された2人と7歳年上の兄、雄輔さんは、さと子さんの両親七郎さんと小夜子さんに引き取られた。「いい思いはさせられないけど、せめてご飯はおなかいっぱい食べさせたい」と小夜子さんは毎日2升の米を炊いた。寒い日にはこたつにあたる祖父母の懐に飛び込み、ひざに乗ってきた幼い兄弟。今では見上げるほどに大きくなった。

2人は祖父母に反対したことがないという。「唯一の頼りになる存在」と健志さん。「苦労をかけているから無駄な心配をさせたくなかった」と康志さん。

母と姉の死は命の尊さを教えてくれた気がする。健志さんは「助けられる命があるのなら助けたい」と看護士を志した。目前に迫った入学試験に向け勉強に励む毎日だ。

(2009年1月16日八重山日報より抜粋)


昨夜の自分のラジオ番組でも紹介したんだけど、ただこの話しを「悲しい話」だとか「感動的」とかそういう括りでは区切りたくなくって、この現実を先ずは知ることから、震災で被害にあわれた方々やその遺族の方々の気持ちを少しでも理解できるんじゃないかなと思って紹介しました。ただね、ラジオでこの話しを読んで紹介してるとだんだん切なくなってきて泣きそうになって大変でした。人に何かを伝えるって事はとても大変な事だと改めて思いました。

震災で亡くなられた方々に合掌。


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