野底マーペー

ケンヤ マルセイユ

2008年01月28日 21:24

久々の更新です...

というのも、働いてた仕事を去年一杯で辞めて、現在は生まれ故郷の石垣島にいるからなんです。
それまでの間ずっとバタバタしてたもので、更新が出来ずにいました(^_^;)

さて、今日はその石垣島に伝わる民話をちょっとお話したいなと思います。
実は、今週末その舞台となった野底岳に登りに行くんですよね。
小学か中学以来の登山なので楽しみです。

では、その民話「野底マーペー」の話をどうぞ!!

「野底マーペー」

むかし、八重山(やえやま)の石垣島(いしがきじま)と西表島(いりおもてじま)の間にある黒島という小さな島に、マーペーという美しいむすめと、カニムイというたくましい若者がいた。

マーペーとカニムイは小さいころからの仲良し。
家も、中道と呼ばれる道をはさんだ向かいにあるものだから、ずっと、それこそ朝から晩までいっしょになって遊んだりケンカしたりして過ごしていたって。

村の人も、マーペーとカニムイの仲の良さを知っていて、あまりに似合いの二人だから、「いつになったらけっこんするのかなぁ」と言っていた。そのふたりも、結婚を誓い合ってるような仲だった。

そんなある日。

島に大勢の役人がやって来て、村中の人みんなに集まるよう命令して、こう言った。
「王様の命令として、これまでおさめていた米やさとうをもっと多く納めるように。 それには今の土地では足りないので、新しく米やキビを作ることのできる土地を開くことになった。ついては、この島から石垣島へ人を移すことになった。 村の中道からこちらへ住んでいる者は、全員明日の朝、石垣島へ行くことを申しつける」

いっしゅんシーンとなった村人だけど、そのうちに、「大変なことだ。ぜったいに行かんぞ」と、さけぶ声が多くなった。

「えーい、だまれ、だまらんか。もんくをいうやつは、ここで今すぐ切ってやるぞ」刀を持ってみんなの前に立ちはだかる役人に、だれも声を出す者はいない。

そこへ出てきたのがカニムイ。

「お願いです。こちらには、私とけっこんすると約束したマーペーがいます。そのむすめだけは連れて行かないで下さい。お願いです」

でも、役人は刀を持ったまま言うことを聞いてはくれない。

しかたなくあきらめマーペーとカニムイは、たがいに見つめあったまま、だまって別れるしかなかった。

中道をへだてていただけで、はなればなれになったマーペーとカニムイ。

石垣島へ連れて行かれたマーペーたちは、野底(のそこ)という村で、うっそうと木がしげる森をそれこそ朝から晩まで働いた。

こうして、広い海とけわしい野底岳(のそこだけ)にはさまれた村にも、少しずつ作物が実るようになった。

だけど、ある夏のこと。
村をマラリアというおそろしい病気がおそってきた。

次々にマラリヤで死んでいく村人たち。
残った村人が、苦しむみんなのために、村では、生まれ島である黒島のお祭りをして、おそろしいマラリアをふりはらい、村を明るくしようとした。

ところが、祭りの前にマーペーもマラリアにかかってしまって、ねこんでしまった。マラリアで苦しみながら、マーペーが思うのはカニムイのことばかり。

祭りの日、一人家を出たマーペーは、どうしてもカニムイの住む黒島が見たくて、苦しみながらも野底岳に登っていった。

岩山でとても険しい野底岳を、マーペーは岩にしがみつき、草木にはいつくばって必死になって、ただカニムイのいる黒島を一目見ようと山を登った。

やっとのおもいで、ちょう上にたどりついたマーペーは岩の上に立って南のほうを眺めた。きっと黒島が見えるはずだ。カニムイのいる黒島が見えるはずだ。

だけど、熱にうるんだマーペーの目にうつったのは、石垣島で一番高いおもと岳だった。黒島はおもと岳にかくれて、影さえ見えなかった。

どんなに目をこらしてみても、カニムイの住む黒島は見えない。

マーペーは大声をあげて泣いた。
そして、くずれるようにがっくりと岩の上に座ると、黒島のほうに向かって両手を合わせ、とうとう精も根もつきはてたマーペーは、悲しみのあまり、そのまま石になってしまった。

今でも野底岳のちょう上には、石になったマーペーが、いとしいカニムイの住む黒島の方を見てすわっている。

悲しい悲しい石垣島に伝わるお話。


あぁ、悲しすぎる(/_;)

八重山民謡では、その野底マーペーの事を歌った民謡で「つぃんだら節」というものがあります。

ここで、その歌詞と歌が聴けますよ。

これからしばらくは、石垣島での出来事などを載せていきたいなと思います。
なので、離島に興味のある方、好きな方は当ブログを読んでいただければ幸いです。

では、又!!
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