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2007年12月21日

国会で「君」づけするのは何故?

さっき書いたエントリーで、色々と調べたり見てたりしてて、ふと思った事があって。
何で国会では、お互いの事を「君」づけで呼ぶんだろう?って疑問なんですけどね。

国会で「君」づけするのは何故?

そしたら、なんとすぐに謎が解けました!!
さすがですね、インターネットって便利。

明治維新後、第一回帝国議会以来の慣習だそうです。

へぇー、そうなのかぁ。

でも、なんかたまに国会中継とかニュースとか見てて、議長が「~君」って呼んだりするのを見てると気が抜けると言うか、まぁそんなによく国会中継を見るわけではないから、てかほとんど見ないから、「~君」って呼び方に違和感を覚えるのかもしれませんね。

因みに、たまたまこの呼び方について調べてたらこれまた驚くトリビアを発見しました!!

慶應義塾大学では、今現在も教授の事を「先生」とは呼ばず「~君」と呼ばれたり、書き記されたりするそうです。
これの理由なんですが、以下になります。


 慶應義塾では、先生というのは創立者たる福澤諭吉先生ひとりに限り、他の教職員はすべて「君(くん)」づけで呼ぶならわしがある。

 たとえば、教務の掲示板などにも「○○君休講」というような貼り紙が見うけられ、新入生諸君にはいささか異様な感じをいだかせるらしい。しかし、それはなにも休講の掲示だけのことではなく、義塾の文書や記録にしるされる敬称にはしばしばこの「君(くん)」が使われているのである。しかも、このことは思うに、義塾のなりたちとその伝統をよく伝えている一つの事例といっていいであろう。

 義塾はもともと福澤先生ひとりを先生として発足した。そして、その門下生のなかから新しい先生が次第に育ってきた。つまり、福澤先生以外の先生たちはみなひとしくかつては福澤先生のお弟子さんなのであった。のみならず、明治初年のころまでは半学半教といって、学業の上達した者は一方では下級のものを教えながら、他方ではさらに一段上級のものに学ぶというしくみがあって、一面で先生であるものが他面では生徒でもあったわけで、要するに真に先生であるのは福澤先生だけであったことになる。

 したがって、福澤先生からすればどの教職員もことごとくが門下生であって、孫弟子なり、その又弟子なりにしてからが、その点ではたとえ塾生とてもまったく一視同仁といわなければならない。すなわち、そういう成り立ちがそのまま全教職員、いな全社中おしなべて、その敬称を「君(くん)」づけに統一させる基盤となっているものといえよう。


慶応義塾豆百科より引用



なるほど~ってなりますよね。福沢先生は偉大なんだなぁ、やっぱり。

でもって、ジャニーズも先輩タレントの事を「~君」って呼びますよね。
アレはなんでだろうな?調べたら、「ジャニーズの風習」だとかしか出てこなくて、しかもマッチや少年隊などのベテランにはちゃんと「さん」づけなんだよなぁ。う~ん、よく分からん。けど、あのジャニーズの「君」づけも何だか違和感がある、ホモっぽい(爆)

国会で「君」づけするのは何故?




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Posted by ケンヤ マルセイユ at 16:09│Comments(0)政治・社会
 
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