2008年02月20日
大浜信泉「沖縄の現実と将来」
昨日は、友達の家でwiiスポーツをやって、しょっちゅう負けて何度も泡盛をロックで飲んで泥酔し、家に帰って来たときにはベロンベロンで、父親にずっと酔った勢いで説教しました(笑)やれ、親が礼儀作法を教えなかったから何度も恥かいたとか、沖縄特有の行事って沢山あるじゃないですか?それの引継ぎを兄貴にちゃんとやれよ、とか、元気なうちに色々と伝えるべきものはちゃんと子供に伝えれとか、かなり云いたい放題。
うちの父親も俺がイキナリこんな事言うもんだから笑ってた。
酔っ払いのたわ言だと受け止めても別にいいけど、最近「ちりとてちん」の影響で、そういった歴史や伝統に対してキチンと守らないといけないよなぁと考えるので、酔ってそんな事を言ってしまったのかもしれないなぁ。
うちの父親も俺がイキナリこんな事言うもんだから笑ってた。
酔っ払いのたわ言だと受け止めても別にいいけど、最近「ちりとてちん」の影響で、そういった歴史や伝統に対してキチンと守らないといけないよなぁと考えるので、酔ってそんな事を言ってしまったのかもしれないなぁ。

今日、昼飯を食べた後に税務署の周りをプラプラと散歩してたら急に雨が降ってきたので、近くにあった「大浜信泉記念館」に避難。でもって、なんだかんだ入った事が無かったのと、入館無料だったので中に入り色々と観てたんだけど、大浜信泉という人が石垣島出身で早稲田大学理事長とかをやっていたのは知ってたんだけど、それ以外にも日本プロ野球コミッショナーやってたり、人生をかけて何十冊もの論文を書き上げていたり、その晩年は沖縄の為に色々と尽力をかけてたりと本当に凄い人なんだなと改めて感動しました。そりゃあ記念館をたてるべき人だよなとか、いまだに沢山の年配の方が「信泉先生」というし。

元々、早稲田大学って「教授」とは呼ばずに「先生」と呼ぶのが伝統なんですが、それは早稲田は元々は寺子屋が始まりで、生徒が福沢諭吉に「先生」と言っていた名残が由来の伝統なんですが、石垣島の人のはそれと違う気がします。なんていうか、村のお医者様じゃないけど、そんな感じに似てて、とても偉いし立派な方なんだけど親しみを覚えるような優しいオーラを出してそうな雰囲気がしました。
その大浜信泉先生の名言がコレ!!
↓
「人の価値は生まれた場所によって決まるものではない。いかに自分を磨き、いかに自分を鍛えるかによって決まるものである」
大浜信泉wikipedia
大浜信泉先生にまつわるエピソードのひとつに、今の沖縄で起こっている様々な問題をリアルに感じ取ることが出来て考えさせられました。それが、『生活教育』1996年7月号より、丸木政臣氏の「わたしと沖縄」の一部分です。 「沖縄・八重山探偵団」より引用させて頂きます。
その翌年、新制高校発足の記念の集まりで早稲田大学の大浜信泉(のぶもと)氏の講演を聞く機会があった。演題は「沖縄の現実と将来」といったことであった。
長身痩躯、眼鏡をひからせる大浜さんは気さくな口調で「人気歌手の仲宗根美樹さんのことはよくご存知でしょうが、同じところ出身の大浜のことは知らないという人が多いですね」と笑わせながら、「早稲田の先生だから、あなたは沖縄の土民とはちがうでしょう、などと暴言をはかれ、あたかも沖縄は異国人だという人もあります」と最初から痛烈な切り口で話にはいられた。
そして「この前子供連れで私を尋ねて来られた人が、アメリカ大使館の前を通った時、その子がパパここにも沖縄の旗がかかっているよ、といったので身の毛のよだつ思いがしたといわれた」とエピソードをまじえながら、「沖縄が何百年かの歴史の道程で日本本土とは異なる文化の成り立ちをしてきたために、日本本土から故なき差別をされることになった」ことの上に、「太平洋戦争で日本唯一の地上戦の戦場となり、戦後はそのままアメリカに占領されて今日に至っているので異国のようになってしまった」として「沖縄は二つの十字架を背負わされたのです」といって壇上で言葉をつまらせられた。
そして「沖縄は日本政府から里子に出されたようなものですが、でも親子の縁を切られたわけではなく、依然として日本の国民なのです」とつづけられた。
米兵による暴行事件が今や社会問題として大きく取り扱われてますが、未だに教科書検定問題だって解決してません。この沖縄という土地は確かに大浜信泉先生の言うとおり「二つの十字架」を背負ってるよなぁと本当に悲しくなります...
でも、だからこそ、不平不満を並べるだけでなく、明るい未来を築く為にも沖縄県民である自分達は、基地反対と唱えるだけでなく、政府を頼りとしないで、自分達で出来ることから始めていかなくてはと思います。それが何なのかと言われると、自分でも上手く言えませんが、きっとそれは県議会が主体となって行われる独自の基地問題に対する取り組みなんだろうと思います。結局、日本政府にあれこれ言ったってきっと何も変わりやしない。だったら、自分達の手で「本土復帰」を果たした時のように、老若男女皆が一体となって「沖縄」について真剣に考え、自分達の手で出来る事を生み出し、そこから始まるんじゃないかなというのが俺の考えなのかも。
今週金曜日には、石垣島では「十六日祭」という沖縄本島で云うシーミーのような行事が行われます。こういった伝統行事にも学ぶべきところは沢山あるし、その土地の文化や伝統はその土地の歴史に直結します。
俺ももっと、自分を磨き、自分を鍛え、いつかは沖縄のために、生まれ故郷である石垣島の為に自分が出来る事を、自分にしか出来ない事をしたいと思います。
P.S.
余談ですが、雨がやまず記念館を出れずにその玄関で雨宿りをして「どうやって税務署に帰ろうか」と悩んでる時に、俺と同じように雨宿りをしていたオバーがいて。タクシーを拾おうにもなかなか来ないような状況だったので、タクシー会社に連絡してあげたら、俺に小遣いをあげようとしたので断って、それなら近くの税務署まで乗っけてくれないかとお願いして、税務署前でおろしてもらいこっちが助かりました。
でもって安い金額だけど、手持ち金200円を払おうとしたら「いらない」と必死で断られて肩をパンパン叩かれました(笑)降りる時に、オバーが「ありがとうー」と言った時の笑顔が素敵でこっちまで嬉しくなりました。まさしく飴と鞭ですね、やっぱ俺ってMっ気アリなのかも(爆)そんなやり取りが出来たのも面白くって、そんなオバーがいる沖縄ってまだまだ素敵だなと感じました。
Posted by ケンヤ マルセイユ at 21:06│Comments(0)
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